以下の文は、NPO小諸いずみ会会報2004年9月号より
「いのちの家」所長の、川崎経子先生の文章を、御本人に
直接お会いし、許可を得て、掲載しております。


小諸いずみ会とは?






第1話
私の知人で、易者を親類に持っている人がいる。その知人に
よると、彼は病弱のために在宅で体を動かさずにできる職業
として、易の道に入ったという。彼は相談にきた人の話を
トコトン丁寧に聞き、恭しく祭壇に伏し拝み、徐ろに相談者の
方に向き直るや、「エエイ!」だか「ヤーッ」だか、一声大声をあげて
託宣を宣給うのだ。「彼は一声で3万異常ですよ。材料費や
原価も労力もゼロ。結構いい職業です」と知人は笑っていた。
 驚いたことに、どんなに外れても商売に差し支えない。外れた人
ほど「当てにならない易者を頼って3万円も出した」なんて恥ずかしくて
口外できない。逆にまぐれでも当たった人は「あの先生には不思議な
霊力がある。出会って救われた」と有難がって、ただで宣伝してくれる。
商売は益々繁盛するばかりだというのだ。
 「何をお悩みですか」と聞くことは、易者にとって欠かすことのできない
質問である。悩みがわかればどうにだってなるが、聞きそびれたら、
とんでもないことになりかねない。“黙って座ればピタリと当たる易者”
など絶対にいない。もしいたら、個人のプライバシーは守れない。
しかし、警察署は霊能者を置くことで、検挙率100%、迷宮入りも
冤罪もなくなる筈だし、北朝鮮の拉致被害者の行方も判明
できるではないか。


第2話
次は、別の知人の体験談。彼は高等学校卒業後、文系に進学
すべきか、理系かと迷っていた。当時、彼を可愛がっていた著名な
芸術家が彼に「私の尊敬している素晴らしい占いの先生がいるから
、そこで占ってもらいなさい」とアドバイスしてくれ、彼を連れていって
くれたという。
 彼はまだ少年であった。著名な先生が、その先生自身が尊敬
している偉大な占いの大家のところへ連れていったのである。コチコチに
緊張している少年に芸術家の先生は言った。
 「君は気を楽にして、先生の質問にハッキリ答えたら、あとは黙って
いい。何でも見通すことのできる日本一の素晴らしい力を持って
おられる先生だから、安心してお任せしなさい。」
 さて大変なことになってしまった。彼は占いの先生の前に正座し、
「よろしくお願いします」と最敬礼したきり黙って正座している。
先生は大きな目でこの少年をじっと見据え、両者無言の対面と
なった。先生は何回も祭壇に向かって熱心に祈っては、少年
の方に向きを変えた。その都度少年はますます緊張し、一言も
発しない。やがて先生は
 「今日はちょっと調子が悪くて・・・・」
と弁解し、やっと少年に尋ねた。
 「あなたの家の東の方角に大きな木がありますか?」
 「あります」ではなく、「ありますか?」という明確な質問だった
そうだ。質問にハッキリ答えるように言われていた少年である。
 「イイエ!ありません。」
と大きい声で答えると、先生は少年に
 「東の方に大きな木がなくて、本当によかったですね。
 あったら大変なことが起こるところでした・・・・」と言い
 「毎朝、家の四方に塩と水を撒かれるといいですね」
とアドバイスして下さり、
 「じゃ、今日はこれまでに・・・」
と奥へ引き取られたのである。
 帰する道すがら、芸術家の大家は少年に言った。
 「君ね。僕は確かに“黙って座っていればいい”と
 言ったよ。だけどネ、何を悩んで相談に来たのか、
 そのことを話さなきゃ、いくら偉い先生だって答えられない
 じゃないか。」
“黙って座ればピタリ・・外れる”のだ。
占い師、易者は、人間の弱さと願望が生み出した職業である。
私たちはなにか、一つするのにも選んで行動しなければならない。
選ぶことは岐路に立つことで、誰もが迷う。この迷いを手軽に
かわして、幸せの道に導いてくれるものがあったら・・・
そんな人間の弱さは昔も今も変わらない。私達の中に、地上の
幸福を求めるあまり、不確かな暗示すら頼ろうとする人間の
弱さがある限り、それにつけこむ占い、オカルトの類は後を絶つ
ことはないだろう。人間の迷いに断固決断を与え、確信をもって
その言葉に従うことが出来る絶対はずれない理想的易者が
実在したら。どんなによいか。そんな人々の想像の所産として
生まれたのが“黙って座ればピタリと当たる易者”である。
そして、それはあくまでも人間の弱さと願望が生み出した
想像の所産に過ぎない。このエピソードは、そのことを
如実に語っている。



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