サファイア・アークの独り言





サファイア・アークの独り言




3月20日(木) アメリカ武力行使開始


アメリカのイラクへの武力行使が始まった。
TVは、どのチャンネルも特番。

今日の東京は お天気も良く、気持ち良い日。
なのにTVでは戦争一色だ。
重苦しく悲しい気持ちで潰されそうになる。

私は憂鬱な気分でリハビリに向かった。
そこでもTVが、かかっていた。
負荷も最初より3段階上げ、体の仕上がりも
順調なのに素直に喜べない。
2セットのメニューをやった。さすがに負荷を上げた
だけあって、手ごたえがあった。
今日は生まれて初めての試みとしてサウナに
チャレンジしてみた。私のような頭痛持ちに
サウナは厳禁である。
1分くらいで出て足元に水をかけてみた。
頭が痛くならなかった。それどころか、
ものすごく爽快な気分になった。
ここでも また自分の回復を感じた。
サウナは自滅行為とさえ言われてきただけに
たった1分でも、すごい快挙なのだ。

この日記の目的は激しい頭痛と睡眠障害と
付き合う私が一日を、どう過ごしているか
ということを書いて、こんな人間もいるよ、
という投げかけだった。
弱音と愚痴、失敗の連続の私が不器用ながら
くじけつつ送る毎日を綴ってきた。

そろそろ、タイトルにある『頭痛日記』とも
お別れかと思う。
これからも頭痛はするだろう。
しかし、どんなに頭痛が酷くても、今まで
乗り切ってやってきたことを、この日記を
読み返して自分を励まそうと思う。
睡眠障害は相変わらずだが、それは運動で
頭痛と同じように根気よく付き合っていく
つもりである。
今日でダラダラと書く“出来事日記”は終わり。
明日からは“今日のひとこと”というページを
つくって気になったことなどを少し書くことにした。

一度廃人寸前までいった人間でも、人生を
新たに歩き出せることを知って欲しいと思う。
私自身、随分と内輪の話を書いたものだと
唖然としてしまう。
どんな辛いことがあっても、その時の受け取り方で
全く違ったモノになる。

今 フセインが呼びかけている“神”は、人殺しや
殉職など勧めない。私が知っている限り、
イスラムの人は心優しい。ブッシュだって
聖書に手を置いて大統領に就任したのに・・。
「正義」「善」「神」「利害」
全てが こんがらがって、変に利用され
泣くのは弱い立場の者ばかりだ。

何度同じことを繰り返したら気が済むのだろう。
やり場のない憤りと、これからのことを
考えながら今夜も眠れそうに無い・・なんて思う。
犠牲者が最小限で済みますように。
どうか、世界の目がイラクに行っている間に
悪さをする輩がいませんように。
地上に生ける全てを お守り下さい。


3月19日(水) ・追従という語句


朝 起きたら声が出なかった。
焦ったの何のって、今日は声が出ないと
困る日だ。鼻の奥はツーンとするし、
頭も重いし・・。

急いでバターロールにレタスとハムを挟んで
ミルクティーで流し込み、薬を飲んだ。
思い切って大きな声を出してみると
少し嗄れているものの、何とか出た。
仕度をして電車に乗って出掛けた。

随分先の話なのでピンとこないが先方の
話を聞いたり私の方針を話したりして
帰ってきた。風邪のせいか、気疲れのせいか
とても疲れたのでリハビリ行きをやめた。

帰宅するとディム君が台所の生ゴミを
漁っている最中だった。
うっそぉ〜。まるで、室内白カラスじゃない。
いや、やっぱり室内ノラ犬の方がピッタリ。
私の躾が悪いせいだわ。
一生懸命 甘えて取り成そうとする姿勢に
ズルさを感じ、抱っこしてあげなかったら、
悲しそうにソファの上で いじけて丸くなってしまった。

不穏な世界情勢の中で、こんな風に
暮らしていていいのかと思ってしまう。
日本ほど自国を大切にしない国は
珍しいのではないだろうか。
この間 小学生でも「追従」という語句を覚えたと思う。
普段 もっと必要とされている国内の問題に
目を向け、そちらに予算をかけてくれればいいのに。
政治家がお金持ちだから、理解できない事が
多いのかな。

きれい事、追従、多額の出費・・
これ、今の日本を表現するのに必ず
出てくることだ。しょせん人の痛みでしかない
のであろうか・・・・ 


3月18日(火) ・立て〜!ジョー!なんちゃって・・


喉痛い。鼻もグシュグシュ。
早めに目が覚めていたものの
起きる気がしない。
ディム君なんてゴーゴーと、いびきを
かいている。時計を気にしつつ、
あと少しで毎日書くこともなくなる原稿を
書く為、ディム君をベッドから引き剥がして
起きた。その間 約1時間。
勤労意欲なんて、どっかへ行っちまった。
でも決められたことは、決められたことなので
済ませないと気分が悪い。

ほとんど劇画の世界。
『明日のジョー』ならぬ、『本日のサファイア』。
「立て〜、サファイア〜!!」
ニュースではアメリカの武力行使まで48時間という
大問題でイッパイなのに、私は鼻水でイッパイ。
しぶとく膝の上で、また眠り始めたディム君を
無視して本日分を終えた。

食欲がないので、無理してレタス・ハム・サンドを
作ってミルクと一緒に摂った。
TVをつけているとハラハラしてくるので、
頭痛と熱がないことを理由に、これ以上
自分を甘やかしてはいけないと思い
リハビリに出掛けた。
寒くて結局車で行ってしまった。
昨夜Jr.に肩を見てもらったら、盛り上がっていたとか。
緊張で硬くなった背中が、せっかく調子よかったのが
リハビリをさぼると、こうなるのかと思わされた。
だから頭痛も強かったのか・・

念入りにジムでストレッチをしてウオーミングアップと
2セットのメニューやりジャグジーで終了。
普段 面倒なのに、いかに大切なリハビリかと思う。
今日は夜になっても頭痛がない。
帰りは冷たい雨の中 ニャンコのご飯を買って帰って来た。

明日は、どうしても出掛けなければならない用事が
あるので声も出ないと困る。
神様に、お任せの人生だから、心配するのは
よそう。風邪は軽くて済みそうな気がする。
咳に変わらなければ体力がついた証拠である。
今日 発熱しなかったのも、かなり良い兆候だし。
昨夜 酷く落ち込まなくて良かった。

しかし・・3月だっていうのに、この寒さ。
雪なんて話も予報でやっていた。
世界を震撼させる戦争を地球も憂いているのか。
このあとは、犠牲者が、なるべく少なくてすみます
ようにと祈るばかりだ。
はぁ・・・日本って敗戦国だったと改めて
感じさせられた日でもあった。 


3月17日(月) ・こんな日まで、ありまする☆


いやぁー、まいった。
馬も鹿も風邪をひく。
従って、“馬鹿”も風邪をひく。
つまり私も風邪をひく。

朝 起きたら、酷い頭痛と悪寒。
寒くて寒くてガタガタしながら、ミルクを温め
薬を飲んで本日分の原稿を書いた。
背中のゾクゾク感が刺激的だった。

その後は、さっさとディム君連れてベッドに入った。
布団に頭から潜っていると3ニヤン達が
すぐに集まってきた。傍らにいるディム君で
遊ぶためだ。ベッドの端に3匹並んで片方の
前足を上げて、ディム君の頭をポカリとやる
タイミングをみている。
布団の隙間から見ていたら、ディム君は
ポカポカとやられていて、その度にベッドの上を
シッポを振って駆け回っている。
我が愛犬はマゾかい?
何度見ていても面白い光景なので悪寒に
震えながら布団の奥で思わず「クックッ・・クッ」と
笑ってしまった。ちょっとホラーチックな笑いだったかも。

悪寒が治まったら、今度は暑くなってきて
頭痛がドンチャカドンチャカと始まった。
ああ、今日で4日間もリハビリに行っていない。
体力がついていれば風邪も、すぐ抜けるでしょう、
と気楽に考え、風邪っぴき生活を頭痛にもがき
ながら苦痛に悶えることにした。
こんなんじゃパソコンも開けることができない。
明日こそ・・と望みを繋げて沈没。


3月16日(日)・ こんな日もありまする☆


昨夜から、とうとう眠れなかった。
病院の薬をMAXで飲んでも効かなかった。
それでもベッドに入っていたら起床予定時間の
直後の数秒後、スコンと眠ってしまった。
起きたら午後2時を過ぎていた。
せっかくの日曜を こんな形でスタートさせて
しまった。教会にも行けず、随分落ち込んだ。
パイプオルガンと黙想でスタートさせたかったのに・・

起きて体調が変なまま雑用を済ませ、用事が
あったので出掛けた。
夕方から雨が降り、途中で傘を買った。
バァチャンの病院に間に合わないので母に連絡を
入れた。
腹痛で下痢はするし、頭痛は酷いし、散々な
日だった。昨夜 大鍋で煮てあったモツ煮込みを
多量に食べたのが、いけなかったようだ。
前の葡萄ジュースといい、何て“おバカ”なのだろう。
何でも加減ってモノがあるのに。

今日でリハビリを3日抜いたことになる。
肩甲骨のあたりがバリバリしている気がする。
頭痛は無理に寝ようとして病院の薬をMAXで
飲んだせいかと思う。
一度 この頭痛を起こすと、記憶してしまい
なかなか治らない。イミグランを飲むはめになった。

夜 母から電話で、微熱があるものの安定して
きて、お粥も五分粥になったのでバァチャンの
食事は夜も母が行くことになった。
母なりに自分で なるべく世話をしたい気持ちも
あるようだ。私に出来ることは何でもしようと
思っている。そんな事を思っているそばから、頭痛で
ウ〜ウ〜言っていれば世話がない。
でも“明日”がある。明日も今日と同じとは
限らない。天気だって明日の昼には雨が上がると
予報が出ていた。

この頭痛から、また あのリハビリ生活のサイクルに
戻すのには気力がいる。
いつまでと期限のないリハビリ生活である。
暇を作っては、せっせと通うように努力したい。

最近の私の寝る時の体制は、左腕に仔猫の
デカ猫・アウリン、右腕に白チワのディム君を
抱っこしている。当然 メイン・クーンの
アウリンの方がフワフワして温かくて感触はいいが
ディム君のベタっとくっついてくるのも、なかなか
胸キュンものである。
こうやって書くと、動物に囲まれて絵になりそうだが
実際は両方とも、お風呂に入れていないので
動物が苦手な人は逃げていくかもしれない。
この匂いも好きな私は、何ともない。
私の小さなベッドに3ニャンとディム君がいる時など
幸せ〜って思う。2匹のニャンコが育つほど、エナの
発育不良が露骨で淋しい。
高価なサプリメントを生活を削っても与えているのに
体重が増えない。アウリンだけ大きくなっている。

もう少し経ったら、皆を抱っこしてベッドに入ろう。
明日は明日の風が吹くって、いい言葉だ。
神様に お任せ!何も考えず不眠の事も
思い煩うことなかれ。
頭痛だけは、不安になるけど・・。
これもリハビリに行き出せば楽になるだろう。
気力と意欲が、いい風を運んでくれる。
無理なく 委ねて今週をスタートさせよう。 


3月15日(土) ・有意義な日


ここのところ不眠傾向が強くなる一方である。
やっと眠ったと思ったら起きる時間。
それでも予定より寝坊して、通院日だったので
薬だけもらいに行き、その足で、出先へ向かった。

会館の中は暑く、途中 レジメを見ながら
うとうとしてしまった。
私にとっては大切な内容なので、しっかり
聴いていたかった。
自分のライフワークを考えると貴重な事である。
地道に訴えていくことの大切さを感じる。

今日で2日間もリハビリを休んだので体が重い。
そうそう、私が密かに尊敬している闘う戦士は
学者の顔だけではなく、ユニークで体を鍛える
健康オタクであることが判明。
今まで、リハビリのジム通いが酷くイヤだったが、
あの先生も こうして体を鍛えてらっしゃるのだと
知ったら意欲が出てきた。
そうだよね。救出する側が病気だったら、役に
立てないものね。
よ〜〜し、「健康を目指すぞぉ!」なんて思った。

そう言ってるそばから不眠で悩んでいるんだけど・・

安心して夜中まで一緒にいられる方達と話せて
とても楽しかった。
不思議なんだけど、おこがましいかもしれないけれど、
そこに自分の居場所を感じることができる。
家の外にいて、一人じゃないんだなぁって感じれる
めったに持てない時間だった。
また次回が楽しみだ。

睡眠障害とは気長に付き合うとして、少しずつ
納得できる日を送れるように努力したいと思う。
神様 今日の時間をありがとうございました。


3月14日(金) ・自分をアホだと思う時


うう・・ひそかに思っていたけれど、やっぱり
私はアホだ。確信してしまった。

いつものように起きて、あくびをしたら口の中が
何か変。口内炎かと思ったら、ペロリと粘膜が
剥がれているところがある。
思い当たる節といえば、深夜のスープ。
せっかくジムで絞ってきたのに、いくら空腹とはいえ
深夜にラーメンなんて食べたら太る。
それで、その場しのぎにインスタントのワカメ・スープ
19キロカロリーのを飲んだ。その際、よほど空腹だった
とみえて、ひどく熱いまま飲んでしまった。
唇の裏側もペロリと剥けていて見事な火傷。
飲んで、もう満足して口の中がヒリヒリするのを
すっかり忘れてしまった。
そして朝起きて気づいた次第である。
ここで少し私はアホかもしれないと思った。

朝の出だしからツキがないと思いつつ、
出掛ける予定があったので時間の余裕をみて車で
行ったら、早く着きすぎてしまい、途中 ファーストフード
の店で時間を潰した。ジンジャーエールとフライドポテト
を頼み、トレーに乗せてもらい席に着こうとした時、
ジンジャーエールを まっ逆さまに落としてしまった。
ストローを差し込む口から、ドボドボと情け容赦なく
テーブル、床と流れていった。
店の人に布巾を借りに行くと、カウンターの女性が
私に他の席に着いていて下さいと言って、片付けて
くれて、新しく同じものをトレーに乗せて
持ってきてくれた。
ハッキリ言って恥ずかしかった。
だって子供とギャルしかいなかったんだもん。
露骨に笑われているのがわかったんだもん。
この辺で、やはり私はアホかもしれないと思った。

ツキのないのも、そこまでだと思っていたら、用事を
済ませて帰る途中 高速道路で救急車やパトカーが
後ろから来て急いでワギワギ行ったので、
何かあったと見物する気になった。
渋滞していたので、どこかで降りて
しまえばよかったと思ったが、その時は遅すぎた。
出る前に珈琲を飲んでいたことを 
すっかりわすれていた。
珈琲は利尿作用があって私など すぐトイレに
行きたくなる。
渋滞の時間帯に、さらに見物渋滞が重なる中で
私は ずっとトイレのことを考えるはめになった。
幾つか高速の降り口があったのに、
まだ見物したい気持ちが勝っていた。
しかし、行けども行けども渋滞だけ。
頭の中にはWCマークしか浮かばなくなった。
ここで完璧に私はアホだと思った。
もはや、それは「〜かもしれない」などという
範疇を超えた確信に変わっていた。
渋滞の時、トイレに行きたくなったら即 
トイレのことを第一に考えるべきだ。
野次馬根性は ろくなことにならない。
家に着いた時の安堵感は涙ぐましいものがあった。

遅い夕飯を、沁みる口でガツガツ食べながら
幸せを感じたのは言うまでもない。


3月13日(木) ・寝坊〜〜〜っ!


私の特技に“寝坊”がある。
睡眠状態が良くないので、病院の薬を
しっかり飲んで寝たら、入眠は悪くても
一旦寝たら、そのままグ〜スカとやってしまった。
久々にカルト時代の一番苦手な人が夢に出てきた。
まだ腰が引けるものの、何食わぬ顔をして隣に
座る私がいた。すごい進歩だ。
夢の中で普通に挨拶までした。

目覚めて、気分が悪かったが、寝坊したことに
頭がいっていて、それどころではなかった。
しかし、運が良く まだ資料のFAXも届いていなかった
ので、こんな日もあるのだと嬉しくなった。

ハムにサニーレタスを挟んでサンドイッチを
作り食べた。
ここで自分の作業をと考えていたら母から電話。
いや〜、長い。かわいそうなくらい煮詰っている。
バァチャンの病院に行く直前まで母に付き合った。
私と話しをすると頭痛も治るらしい。
父が、以前 そんなことを言っていた。
母の体調に役立つなら、何よりと思う。

病院に行くと、今日は バァチャン、
私の事がわかって、回らない口で私の名を
呼んだ。けっこう感激だったりする。
その後 リハビリに行った。メニューと負荷が増えて
汗をかく量が違っている。他の元気な人から
見たらたいしたことはないが、私には必死な行為である。
苦手な運動を根気よく続けるという課題は
精神的にも鍛錬になる。
さすがに膝が痛くなったので、このギリギリの線を
うまく調節しながら続けることに意味がある。
ジャグジーで温め、終了。

そして家に寄り、取り寄せて集めている
バァチャンの施設のパンフを実家に持って行き、
帰って夕飯を食べ、深夜にかかったが
必要に迫られて外出した。
もっと一日が長かったらと思う。
入眠に取られる時間が、もったいない。
4月からルーティングな作業がなくなったからといって
暇になるわけではないので、心を入れ替えて
ここで また ドッコラショ!とやっていきたい。 


3月12日(水)・ 焦らないように・・


バァチャンの事で緊張しているのか
寝つきが悪く、断眠を繰り返しているうちに
起きる時間になった。
もともとボ〜っとしているので大差ないが、
夕べの残りを食べ、本日分の少ない原稿を
済ませた。

今日は出掛ける用事があるので夜のバァチャンの
食事は母に代わってもらった。
自分でも気づかなかったけれど、気持ちが軽い
ので、いかにバァチャンが倒れたことがストレスに
なっているかを知った。
私も老いたら同じようになるのだろうか。
出掛けるのを知っているせいか、母からの電話も
短かった。家族って不思議なものだ。
干渉されて、ものすごく疲れるのに、それでも
大変な状況になると傍観できない。
私達がカルトに在籍していた時、両親は どんな
気持ちで見守っていたのだろう。
あの絶縁状態でも、心配しながら気長に待っていた
のかもしれないと思うと切なくなる。
お人好しのバァチャンは私と一緒に入信していたので
今考えると、バァチャンは両親と気まずかったのが
容易に想像つく。

出先から、直接リハビリに向かった。
着くと、普段と同じような時間になっていた。
イヤだ、イヤだと言いながら何とか通えている。
毎日の同じメニューにさらにメニューが追加され、
負荷も一段上げた。さすがにキツかった。
これも そのうち慣れていくと思う。
鳩時計の鳩のように、決まった箱の中で同じ動作を
繰り返す。周りを見渡すと同じ顔ぶれの人が何人も
いる。特に外人さんは入念にストレッチをしている。
その人の必要に応じて、やっているメニューが
決まっているようで、皆 同じことをやっている。
エアロビのスタジオで元気よく音楽に合わせて動いて
いる人達を見ると、何故か違和感を感じる。
私はハツラツとしています。。。みたいなムードが
どうも馴染めない。

タクシーが縦列して客待ちをしている大通りを抜け
家に帰った。三月だというのに本当に寒い。
半ばになっても私の次のルーティングな仕事は
決まっていない。その事をhusにこぼすと、
「毎日 ちまちまと そんな事やるのが望みなの?」
と言われた。グサリとくる、その言葉。
先を見た作業が、たっぷり控えている。
私は どうも目先を気にしてしまう。
もっと長い目で物事を見なくては・・と思う。
自分に与えられた作業があるのに、つい見てしまう。
一日を充実させるのは自分の考え方が大きく
作用すると痛感した日だった。


3月11日(火) ・深夜にオムツ・パンツ


寝坊気味なくらい、よく寝た。
そのせいで、さっさか本日分の原稿を
やるはめになった。
昨日の吐き気が頭にあり、温めたミルクを
マグカップ一杯飲んで様子をみることにした。
それから自分の作業の下準備をして
約1時間昼寝をした。

バァチャンの病院に行く時間に起きて
ベッドからディム君を強引に出した。
今日もバァチャン、やっぱりご機嫌が悪かった。
食事が今夜から七分粥になったものの、
おかずが固いので、すり鉢ですって食べさせた。
看護婦さんと相談して明日から、お粥だけ
このままにして、おかずは柔らかい
刻み食にしてもらうことになった。
昼 母が食べさせに通っているのに看護婦さんは
母に何も言わないらしい。オムツをパンツ式のに
して欲しいというのも、食事を変えることも言わなかった
とかで、連絡したら母は憤慨していた。

とりあえず病院を出た後、リハビリに向かった。
こうなったら体力勝負である。
母が 大分 へばってきている。
父の世話とバァチャンで頭が混乱している。
ジムで念入りに2セットやったら汗が出た。
新陳代謝の悪い私には ありがたいことだ。
足が痛くなったのでジャグジーに長めに入って終了。

遅い夕飯は、くたくたに煮たうどんを食べた。
吐き気は大丈夫だった。やれやれ・・。
少し休んで、看護婦さんに言われたオムツパンツと
食料を買いに深夜の街に出掛けた。
無国籍のような街に、オムツを買いに走るなんて
シュールな気もする。
そして、実家に届けると、玄関で済ませてもらえず
部屋に呼ばれ、延々話込まれた。
時間を考えてよ〜、なんて思う私が甘いのは
わかっている。何せ、両親の頭は混乱しているのだ
から・・。話を聞くだけ聞いて帰ってきたら
かなりいい時間になっていた。
何でも相談してくれるのはいいけれど、私だって
知らないことがイッパイあるし、足りないところ
だらけだ。とにかく私の方でも、調べたりして
今後のことを考えることにするということで
帰って来た。

介護保険制度って、はたして いいモノなのかしら。
長短あると思うけれど、高齢化に制度が追いついて
いないのが実情だと思う。
じっとしていても埒が明かないので、動くしかない。
今はバァチャンの介護問題でバタバタしているけれど
私の両親の問題も近い将来だ。
だからと言って、それだけに かかりっきりにはなって
いられない。自分のリハビリも仕事も大切だから。
健康あっての“優しさ”なんてこともチラっと考えた。
はぁ、家庭の中ではこんななのに、大国が戦争を
しようとしている。大小分け隔てなく神の恵みが
注がれていくよう強く信じて、祈っていきたい。


3月10日(月)・ 吐き気の日


今日は調べることがあり夢中でやっていたら
朝の6時半を過ぎていた。
何かに没頭すると時間の観念がなくなる悪い
クセがある。今度から、もっと時間を意識しよう
と反省しベッドに入った。
ろくに眠った実感もなく起きて本日分の原稿を
やった。食欲がなく、小さいカップ麺を食べた。
口当たりがよく、それなら食べれたから。

自分の作業の下準備をして、休もうとしたら
母から電話。毎度同じ内容を何度も話す。
煮詰まっているんだなぁと相槌を打ちながら
聞いていた。バァチャンの病院に行くまで
少し休みたくてベッドに横になろうとしたら、
アウリンが陣取っていた。もう仔猫とは言えない
大きさになっている。さすがメイン・クーンの男の子。
大きさが違う。もっと育たないかなぁ。
免疫力がついて、すくすく育ってくれればいい。
アウリンを横にずらしてベッドに入った。
私のベッドはニャンコ達に占拠されていると思う
のは気のせいだろうか?
約15分くらい横になれた。
寝不足からか、どうも体調が変なまま
バァチャンの病院に急いだ。

今日のバァチャンは、とても機嫌が悪くて
顔つきまで険しかった。私のことも知らない人
だと言っていた。波があるのは仕方ない。
食事も食べさせ方が気に入らなかったのか、
いつもより食べないで、器を持つ私の手を
動く方の手で突然払いのけるという動作をした。
病院にいるうちから吐き気が強くなってきたので
吐き気止めを飲んだ。

さて、こういう時 この吐き気で、この後
どうしようかと考えてしまう。
とりあえず薬が効くことを信じてリハビリに行った。
念入りにジムで2セットやると、益々吐き気。
また吐き気止めを飲んでジャグジーに入り帰宅した。
最近では珍しいくらいの吐き気だった。
主治医に会ったので母にバァチャンの報告をして
そのままソファにゴロゴロして過ごした。
バァチャンの事があるので母の電話は全て
取らなければならないし・・
いくら言っても母の電話は長いし・・・

バァチャンが、もし退院して自宅介護になったら
今度は実家に通うことになるだろう。
口がきけた時、家に帰りたいって言っていたもの。
状態によるけれど高齢者の自宅介護は自分の
時間の、ほとんどを奪われる。
母から悲鳴がくるのは目に見えている。
これからのことなど色々対策を考えなければ
ならない。施設の利用も含めて検討したい。

しかし、バァチャンの両足 壊疽してきていても
手術ができないので、何もできずに
ただ見ているだけなのは辛い。
肉体は必ず壊れる。
バァチャンに痛みを感じる神経が麻痺している
ことを、この際 願ってしまう。
うっ血した麻痺した手も痛々しい。

明日は吐き気がなければいいな。
今夜こそ、ちゃんと寝るぞ! 


3月09日(日) ・普通の日曜日


2時間くらいウトウトしてベッドから出よう
としたら、いつものことながらディム君が
布団をガバっと掴み離さない。
何て寝起きの悪いワンコなんだろう。
普通 犬って敏感に起きるものだ。
それなのにディム君は仰向けになったまま、
薄目を開けても、寝たふりをしている。
愛玩犬とは よく言ったものだ。
彼の仕事は可愛がられることだけだもの。
同じチワワなら居間にいて家を守っている
タフティーくらい、しっかりして欲しい。
ディム君は私にピッタリくっつくことを生きがいと
しているようだ。こんなになつかれちゃったら、
ディム君が天使になる時 私は どうなるだろう。
想像するだけでも涙が出てくる。
涙腺が弱いのか、ニャンコのエナを抱いても
うるうるくる。末っ子・アウリンが大きくなったせいで
エナがキャシャで小さく見え、かわいそうで
発症したかとドキドキしてしまう。

昨日 美容院に行った時、美容師さんと
もし何もしなくていい時間があったら、何をする?
という話で、私だったら家から一歩も出ず、
ワンコとニャンコを抱っこして過ごすと言ったら
「皆 もっと遊ぶわよ」と言われた。
こういう場で“遊び”というと何を指すのかわからない。
私にとっての“遊び”って何だろう?
毎日 遊んでいるようなものだから、あえて
「遊ぶぞ!」と思わないのかしら。
あの厳しい親に育てられた割には、ふわふわ
している。〜しなければならない、という発想が
ないせいだと思う。

で、2時間睡眠の今日はJr.を乗せて教会へ
行った。やはり週頭はパイプオルガンでしょう。
年中パラダイスみたいな私の頭にカレンダーを
示してくれるのが、この黙想中のパイプオルガン
になっている。
先週までの汚れと疲れを一掃し、
「また頑張るべ」と思う。
帰りは睡眠不足で車をぶつけないようにして
帰ってきた。途中 犬猫のフード類とマニュキュアを
買って、ベッドにダイビング。
私のベッドで枕をして寝ていたヨナタンを抱っこして
そのまま寝ていたら、エナとディム君が、ひがんで
頭の周りをウロウロしていた。平和だなぁ〜。

夕刻 Jr.の弾くギターで目が覚めたら
バァチャンの病院に行く時間だった。
急いで行くと、隣の おじいさんが
「元気な お婆さんですねぇ〜」という。
ああ、また やったかと恥ずかしくなる。
ウチのバァチャン、回復してきて歩けないのに
車椅子から立ちあがろうとし、その時
すぐ隣のおじいさんを掴んで首を絞めたような形に
なったのを見たことがある。慌てて、押さえたけれど
バァチャンの怪力に支えるのが精一杯で看護婦さん
を呼んだ。どうも、何かを やらかしているらしい。
小さな血栓が幾つもできているとかで油断は
できないが、威勢だけはいいようだ。
あの状態で入院したことを思うと、死んだ祖父が
バァチャンが天国に行くのを拒んでいるとしか思えない。

ところで、隠れて台所の生ゴミを漁る室内カラスの
ようなワンコ達の躾を何とかできないもの
だろうか。バレるのにやる。
掘り出したゴミをトイレに持って行ってあるんだもの。
単純な思考は飼い主譲りかしら。 


3月08日(土)・ カウンセリングの日


本日は夕方からカウンセリングの日
なので、事情を母に話し、夜の
バァチャンの食事介護を変わってもらった。
仕事もない今日しか美容院に行く時間を
作れない。仮予約を入れておいてよかった。

カットをして、上辺をブリーチしてアッシュ・カラー
を入れてもらった。ホントは完全に全部アッシュに
したかったが、フォーマルな場面に困ると思い、
自重した。(←自画自賛)

そしてカウンセリングに行った。
私はメチャクチャ恵まれている。
カルトを脱会して教会に駆け込んだのも
単なる偶然ではなかったと今ならハッキリ
わかる。私のように頑固な人間は、
あのくらい痛い目に遭わせないと理屈をこねて
人に悪影響を与えると神様は知っていたのだ。
だから、「もう 降参!」というところまで追い込んで
私が心を開ける場に導いて下さったのだ。
しかも、そのカルト時代も、それなりに得るものも多く
すぐに、へこたれる私には“自分で動かなければ
功徳も積めない”という考えは必要だったと思う。
失ったものも大きかったし、自分も傷ついたが、
過ぎてみると、いかに大きな無償の愛の中で
なされていた出来事かを感じる。

今日 カウンセラーの先生と面接していて、先生が
最初に会った時 おっしゃってらした言葉がグルグル
回っていた。私は何者だったのかを見失っていて
「自分が誰だかわかりません。」を連呼すると、
「必ず自分に着地できます。そのお手伝いをします」
と、やさしく返ってきた、そのセリフ。
常に「私は誰?私は何してたの?」の問いに
ドンドン巡りしていた時期がウソのようだ。
昔の知人が私の名を呼んでも、実感がなかった。
もう一人 同性同名の人がいるような気がしていた。
今思うと、いきなり わけのわからないカルトの話を
気長に聴いて、癒して下さったり、励まして下さった
牧師先生に感謝でイッパイである。
まさか、そこが自分の母教会になるとは思わなかった。
宗教アレルギーの私には考えられないことだった。
ずっとイエス・キリストを人の名前だと思ってきたような
私にとって、教会は宗教というより、神さまの愛を
教えてくれる場所に変わった。私の罪をさらに知り、
赦されることも知った。
カルトを経験しなければ体験できなかったこと、
その後で知り合えなかった人がいることを考える
と、ものすごく祝福されているのを感じる。
カウンセラーの先生の目を見て、
私は自分が誰であるか、はっきりわかった事を
伝えることができた。
私が私に着地できる日を、どんなに夢見ていた
だろう。勉強したいこと、やらなくてはと思うことなど
自分ならではの輪郭が見えて気分は爽快だ。
白旗状態、お手上げ・・廃人寸前・・・。
よくも まぁ、ここまでと驚く。
先生達に出会えたことを深く感謝している。

帰宅してJr.と外食し、その後
自分の作業をしていた。
気づいたら午前3時を軽く過ぎていた。
うう。日曜の朝 起きれるかしら。 


3月07日(金)・ Jr.と一緒に


やや寝坊気味。
ジンマシンも残っていて無意識にボリボリ
掻くので跡になっているところがある。
本日分の原稿が終わって食事を摂ったら
中途半端な時間になったので、
バァチャンの病院に行くまでベッドで
時間を潰した。
こういう時間を有効利用しないのが欠点で
ある。わかってはいるものの、ディム君を連れて
ベッドに行くと3匹のニャンコが集まってくるので
面白くてやめられない。皆でディム君の頭を
狙って、次々にネコパンチをするのだ。
まるで、モグラ叩きを見ているみたいで、
かなり笑える。ポコポコやられているのに
ディム君は嬉しいらしくシッポを振って
ベッドを駆け回る。
ディム君は猫になりたいワンコなのだ。
ニャンコのマネをしてベッドから私の机に
飛び移ろうとしたら、飛んですぐに床に落ちて
固まっていたり、ベッドを横切るニャンコを
追いかけて壁にぶつかったりしている。
ネコパンチだけはマスターしてタフティーに
やって、「ウウウ〜」と唸られている。
じゃれかたも猫に似てきた。

夕方になってバァチャンの病院に行く時間に
なったので、今日はJr.と一緒に行った。
あんなに仏頂面していたのに、とても喜んだ
ひ孫は、よほど かわいいらしい。
満面 笑みになった。
点滴もなしになり順調に回復している。

その後、年齢を無視してJr.を私のリハビリに
ビジターとして連れて行った。
Jr.はストレッチでボキボキ音を立てて恥ずかしかった
と言っていた。こんな場所で、こうしてリハビリを
頑張っていると教えることができた。
Jr.には全てが新鮮で面白くうつったようだった。
ジャグジーに入り、のんびりラウンジで寛ぎ、
オレンジジュースを飲んで帰って来た。
そして その足で実家に行った。
Jr.と父が和解できてホっとした。

私にとって孤独なリハビリが今日は
楽しかった。Jr.がマシーンにチャレンジしている
姿が何ともコミカルで、まるで遊園地の玩具を
扱っているようだった。この子にかかると何でも
楽しそうに見える。ニャンコでいえば我が家の
おとぼけキャラ、笑いの発生源のヨナタンに
近いものがある。
暫くはリハビリに行く度に今日のJr.を思い出して
一人で笑うだろう。久々に笑いの多い日だった。 


3月06日(木)・今日も寒い


心の整理はつく道筋が出来そうだが、
体は、さっと動かない。
頭重のまま起きて、本日分の原稿書き。
思ったより手際よく済んだ。

あとは母から3度の電話。
バァチャンが助かったものの、その後の
ことで母は、あっちこっちへ行き相談を
してきている。その報告が、細かく私に
くる。介護保険制度を調べたり、私も
借り出されている。

介護認定申請など、やることはイッパイある。
とりあえず健康な高齢者ならともかく、
痴呆や病気のある高齢者の扱いに
どうも納得がいかない。
お金さえあれば、いい施設や病院に入れられるが
なかったら、どうすればいいのだろう。
悶々と、この混乱する制度に関して考えさせられる
日だった。

早めに病院に行くと、バァチャンは いつもの様に
車椅子に固定され看護室にいた。
目を見張るような回復ぶりで、今日は
機嫌が悪いのがよくわかった。
どうしても体の麻痺を認知できないのだ。
憮然とした表情で口だけ開ける。
とうとう最後までニコリともせず、チラリとも顔を
向けてくれなかった。
体の自由を奪われた苛立ちが、ひしひしと
伝わってきた。それがわかるだけ回復した
と解釈して病院をあとにした。

外に出ると冷たい小雨がパラついていた。
フロントガラスについた水滴がヘッドライトに
照らされ光っていた。
遅くなったので急いでリハビリに向かった。
ピアス部分が腫れてきているので、
イヤーセンサーを指に挟んだ。
ジムで2セットやって、さらに腹筋の数を
増やし、シャワーをさっと浴びて帰宅した。

夜 また母から電話。
バァチャンの退院は、まだ先だが自宅介護に
なりそうだという話だった。
施設の空きが、なかなかないのだ。
母の頭は自宅介護になる可能性ということで
いっぱいだが、私は違う。
まだ余談をゆるさない状態なので、そこまで
楽観視できない。祖父で自宅介護の経験が
あるので想像がつく。
バァチャンが母達の家に戻れる日が来るといい。
また、バァチャン・バトルが始まるかもしれないが、
同じ愚痴でも、そっちの方がいい。

雨足が、どんどん強くなっていくのが
外の様子でわかった。
春はシッポを見せているのに、なかなか
姿を見せない。
バァチャンを車椅子に乗せて、桜が咲いたら
花見に行くってJr.が言ってるよ。
バァチャン、人の世話になるのが大嫌いだから
気分悪いことだらけなんだろうなぁ。


3月05日(水)・ 憂鬱の種


自分を軟弱だと思った。
先週の土曜にJr.が父を激怒させた一件
以来、昼間出歩こうとすると憂鬱になって
気分が萎え、足がすくむ。

子供の頃の記憶が蘇る。
親に友達も選択され、TVも本も制限され
自由は何一つなかった。
友達の家に遊びに行くと うんと叱られた。
親は自分達の思い通りに私を育てようとした。
私の行動を全て把握していないと狂ったようになった。
そんな事 誰にも言えずオトナになった。
人生の岐路で、爆発して親の思い通りの職に
就くことを放棄したことは根深く負い目となったままだ。
私がhusを尊敬するのは、そんな環境の中にいた
私と結婚まで持ち込んだこと。
結婚しても、“娘”で、別所帯になった実感を持てない
ままの、ウチの両親との軋轢。
私に注がれる一方的な愛情が重くて重くて
いつも潰されそうだった。
私がカルト系宗教にのめっていった地盤は
そこにもあると思う。
親から離れていても親孝行できるという振れ込みは
魅力的だった。宗教観が違うといって距離を作る
のも、自分に対して言い訳にもなった。
病院に行って帰りが遅いと院内放送を流される
生活にピリオードを打ちたかった。

先週の土曜の父とJr.の衝突は、Jr.の
口の聞き方だけではなく、私の居場所を
確認できなかった父の苛立ちとパニックが
大きい。それは母にも言われた。
以後 暫く納まっていた心の淀みが、
またニョキニョキ出て来てしまった。
いちいち監視されているようで辛くて仕方ない。

ここのところ何故 こんなに無気力なのかを
考えていたら、ふと そんな事を思い出した。
家にさえいれば親は安心する。

今日も朝 起きて、本日分の原稿を終えて
空いた時間にリハビリに行こうとしたら、体が
動かなかった。この様子を見てJr.に、
「あなただったら、こういう時 どうする?」
と尋ねたら、「何も考えず布団を被って寝る」
と返ってきた。
ああ、これだったんだ・・・それで、この数日間
私は何もしたくなかったんだと思った。
Jr.が、これでも飲んで元気出しなよと
ミルクティーを買って来てくれた。
そう言っているうちに母から電話があり、
約2時間程話した。ほとんどがバァチャンの話
だったが、後半 思い切って、こうまで
いつも私の居場所を探られると苦痛だと
訴えた。すると、
「じゃあ、サファイアと会えない場所に
お父さんと2人で引っ越して、そのまま
動けなくなったら施設に入るから・・」
と始まってしまい、かえって ややこしく
なってしまった。言わなければよかった。

自分の憂鬱な気分が何処からくるか
わかったので、電話を切ると髪を洗い
早めにバァチャンの病院に行った。
恐るべしバァチャン・パワー!
何と今日はベッドの上を這って、看護婦さん
に少し補助してもらって車イスに乗れた。
食欲はバッチリで、スプーンを口に運ぶのが
間に合わない程だった。
主治医が様子を見に来て、
「1度起きたことは何度でもある」
と梗塞の話をして行ったが、そんな心配は
何のその。今日は、やたら元気が良かった。
意識がはっきりする時間があって表情もあった。
点滴が足からなので、そのまま引き上げ
家に帰らずリハビリのため夜の街に出掛けた。

車を運転していると、やたら工事が目立つ。
タクシーに囲まれながら、ネオンに埋もれ
信号待ちをする間、深呼吸をした。
「私は生まれ育った東京が好き」
親がいるから東京にいるわけではない。
東京が好きだから、家があるからいるんだ。

ジムは勤め帰りの人や外人で賑わっていた。
邪念を振り払うようにメニューをこなした。
私を振り回してきた両親の面倒を見る年に
なっているのに、まだ振り回されている。
母が高齢のバァチャンを怖がるみたいに
私も老いた親を苦手に思い、だらしなく
なっている。
ダンベルを振りながら、器具を引っ張りながら
この間の憂鬱を考えてみた。

帰宅して食事を摂っていると、また母から
電話があった。バァチャンが回復してきた
ので介護の事で舞い上がっている。
「あら、食事中なの?」と始まり話は続く。

私の憂鬱も神からの贈り物?!
だとしたら、大分鍛えられている。
高齢化の波で溺れそうになりながら
介護問題に どっぷり浸かっていく日々だ。
本当の意味で、私は もっとオトナに
なりたいと思った。 


3月04日(火) ・久々の頭痛発作


今日は寒い日だった。
食欲もなく、本日分の原稿を終えても
温めたミルクしか飲めなかった。

バァチャンが入院して2週間。
母が主治医と会って詳しく話しを聞いた。
峠を無事越せたものの小さな血栓が
沢山出来ているので今後の事は何とも
言えないと言われたらしい。
特に足の変色に関しては、心臓も悪く
高齢なので切断にも踏み切れないと。

母も疲れが出てきている。
低空飛行ながら、ややバァチャンの容態が
見えてきたので、よけいに疲れが出てきて
いるのかもしれない。

時間が中途半端だったのと体がシンドイ
のとでリハビリに行けなかった。
母から電話があり入れ替わり私が病院に
行った。点滴を引き抜くので、どうにも
ならないと言われ、今日は夕飯を食べさせてから
ずっと手を握って終わるまでいた。
病院で珍しく私は頭痛発作が起きてしまい
帰宅してイミグランを飲んだ。

夜 好物のモツ煮込みを食べ、やっと
元気になった。
ソファに寝転んだら気が緩んで眠ってしまった。
寒くて目が覚めたら明け方だった。

バァチャンは、良くなってきているといっても
自分の体の麻痺も、居る場所も認識できない。
目もほとんど見えないらしい。
後遺症なのか痴呆なのかわからない行動もとる。

私も この今の生活ペースになじまなければ
ならない。疲れたなどと言っている場合じゃない。
バァチャンのことはモチロンだが、母のホローもある。
何せ、不肖の娘の私。
出来ることを、せっせとやるしかない。

それにしても、この寒さ。
頭痛に悪いじゃない。せっかくジンマシンになって
きたのに、今日は両方で散々だった。
この3月を何とか乗りきりたいと強く思っている。


3月03日(月)・春一番


昨日が酷い睡魔で、今日は酷い倦怠感。
外では春一番が吹き荒れていた。
もぁ〜っと暑くて、突風が吹く度、外で大きな音
がする。起きて早々 何もする気になれないまま
本日分の原稿に着手。
今月で、この作業も終わりなのに、今日は
どういうわけか異常に、かったるかった。
というより、とにかく無気力で体が重かった。
書き終えて、リハビリに行く予定だったが
疲労感が強くてベッドに横になった。
プールの個人レッスンも電話でキャンセルした。
リハビリを始めてキャンセルをしたのは初めてである。

何もしたくない、考えたくないという思いでイッパイに
なり、とろとろまどろみながらニャンコ達とディム君が
遊ぶのを見ていた。
バァチャンの夕飯を食べさせる時刻が近づいてきた
ので、軽く食事をしカフェオレを飲んで出掛けた。

バァチャンは相変わらず置き物のように、そこに
置かれていた。入院した時から気づいていたが、
やっぱり、ここの看護婦さんは変だと思った。
挙げたらキリがないけれど、食事中のバァチャンに
点滴をし、ろくに血管を触らないで、茶色く変色した
腕に針を刺した。素人目にも漏れているのは
すぐにわかるのに、ダンゴのように膨れるまで
抜いてくれなかった。
私がいる時、腎不全の患者さんが救急車で運ばれて
来るという連絡が病棟に入った。
「え〜?!今から〜?!いやだぁ〜。」
「うっそぉ〜。めんどー」
という大きな声が看護室から聴こえてきた。
主治医は完全看護なので看護婦さんに全て任せる
ようにと言うし、看護婦さんは泊まって付き添えとか
点滴を入れている間も、ずっといろとか色々言う。
食事だって食べさせてくれないから、昼は母、
夜は私が通っている。
隣りのベッドの人は誰も来ないので、蓋も開けること
なく、そのまま手付かずになっている。
看護婦さんの仕事は重労働だから愚痴や不満も
沢山あるだろう。だけど、患者や、その家族に
そのはけ口を向けられると困る。
私が、ずっと前に入院した大きな病院は、
信じられないほど、すごかった。
主治医と看護部が対立していて、私は放置された
ことがある。それを思えば、まだマシかと思う。

入院している病人は、人質みたいなものだ。
中には優しい看護婦さんもいるし、バァチャンの
周りが全部ひどいわけではないが、慣れで
病む者を扱っているのに、その感覚が麻痺して
しまうのかもしれない。
今日もバァチャンは何も わからなかった。
でも、このままの状態で延命できそうな予感がして
きた。病院側では 高齢なので気楽なのが
伝わってくる。

病院から出たら、さっきまでの土砂降りの雨が
小降りになっていた。
体はダルダルだし、このままでは、そのまま
怠惰の沼にはまってしまいそうだったので、
その足でリハビリに向かった。
ジムで2セット目の後半 ムカムカした。
吐き気止めを飲んでジャグジーに入り終了。

深夜になると冷えてきて昼間の暑さがウソみたく
なった。この温度差に体がついて行けない。
明日は寒くなるらしい。
私の主治医が言っていた通り、私はバァチャンの
入院で緊張した日々を送っていると実感した。
体は正直だ。疲れを感じるようになってきた。
実家とJr.の件、4月以降の仕事のこと、
バァチャンのこと、、、ストレスの種は幾つもある。
全てを神に委ねていない証拠だと思う。
自分で勝手に疲れている。


3月02日(日) ・ジンマシンの方がいい


ジンマシンの薬が猛烈に効いた。
効き過ぎたといっていい。
朝 朦朧としたまま起きて教会に行き、
帰りに先週 ワンコに盗み食いされた大福と
ジム用のトレーニングパンツ(短パン)を買って
来た。その後は我慢できずベッドにダイブしたまま
眠こけていた。今日こそリハビリにプールに行こうと
思ったが、それどころじゃなかった。

ジンマシンはキレイに消えたが薬が残っていて
激しい眠気と、バァチャンのことでの疲れが出て
きて何もする気力がなかった。
耳元で「ヒック・・ヒック・・」という大きな音がして
目が覚めるとバァチャンの夕飯を食べさせに行く
時刻が迫っていた。ディム君が眠りながら
ヒャックリをしたおかげで寝過ごさずに済んだ。
急いで車に乗って出掛けた。

病院から連絡がなかったから何もなくて
当然なのに、バァチャンの姿を見たら
「まだ生きてた・・」とホっとした。
症状は高齢だから遅れて出てくると言われて
いても、さらに悪化したように思える。
無表情で無反応。
どうやって引き抜くのか、またベッドの上は
点滴を引き抜いたあとの血の染みだらけだった。
あと2日で峠と言われた2週間になる。
染みだらけになったバァチャンのパジャマを持って
実家に寄ると、母は忙しそうに掃除をしていた。
もしかしたら生きてバァチャンが帰ってくるかも
しれないと、バァチャンの部屋を一日がかりで
片付けていたらしい。
葬儀の心配をする傍ら、戻ってくると信じて
掃除をする母に、複雑なおもいがした。

せっかくの日曜日なのに、今日も休日気分に
なれなかった。どうも週頭は体調が悪い。
頭痛に替わって、ジンマシンとなって出るように
なったのだろうか。最初は単なる卵アレルギー
そのものだったのに、人間の身体って不思議だ。
今回みたく強く薬を飲むとジンマシンはピタっと
引っ込むが、その後が眠気とダルさで終わってしまう。
これだったらジンマシンをとる。

重篤な患者さんばかりがいる部屋に
毎日通っていると“命”の維持を考える。
何て神秘的なことだろう。
ちょっとしたことが命取りになる状況下では
その瞬時が全てだ。
私は その瞬間瞬間を真剣に生きているだろうか。

薬が切れてきて眠気が治まり、ポツポツと発疹が
出てくるのを見て、これならポリポリ掻いている方が
ましだと思った。
明日は桃の節句。悲しい節句になりませんように。 


3月01日(土)・ 優しさ


起きたら寒くて憂鬱な雨だった。
通院日なので病院に行った。
最近 入眠が困難になりつつあることや
ジンマシンを診せたり色々話をした。
主治医は、卵というよりストレス性のモノ
ではないかと言う。特に夜 興奮しているから
入眠できないと。
確かにバァチャンが倒れてから酷くなった。
手の甲の発疹も目立つようになった。
遅れて出てくる薬疹も検討しながら
アレルギーの薬と抗ヒスタミン剤、睡眠導入剤
を追加することになった。

なるべくプールに入った方がいいと言われたが
今日もリハビリで2セットやっただけで時間が
なくなってしまった。移動は高速を使ったのに
月頭の週末で車が混んでいてバァチャンの
夕食を食べさせに行くのに20分も遅刻して
しまった。途中 Jr.から携帯に連絡が入り
父が病院に行っていて私がいないと大騒ぎして
いると電話があり、それに対するJr.の受け答えで
何かトラブったらしい雰囲気を感じながら病院に
向かうと父は、すでにいなくて看護婦さんが
バァチャンに食べさせてくれていた。私が交代すると
母がずぶ濡れになって、やって来た。
何しろ父から電話があって、私が来ていないから
すぐ来いといわれたらしい。

母の話しだと、昼を食べさせに来た時、突然
バァチャンが、回らない口で自分の祖母の名前を
ポツンと言ったとか。そのバァチャンの祖母が
今日みたいな天気の日に亡くなったので父に
「いよいよ、今日かもね。」と言ったら父が
この雨の中を夕方病院に行ってしまったらしい。
母と二人でバァチャンに食べさせていると母は
時々 バァチャンの頬を撫ぜながら
「あんなに怖かった人なのに、こんなになっちゃって・・」
と泣く。どんなに老いて小さくなったバァチャンでも
母には怖くて苦手な人なんだ。
母を帰して、しばらく病院にいた。
また点滴を引き抜いたらしくベッドが血だらけだった。
腕は内出血の跡だらけで茶色くなっている。
足先のどす黒さも変わらない。
医師に言われた峠の2週間には、まだ4日ある。
延命をかけた時の経過は重苦しいものが漂う。

そのあと、実家に父の栄養補助食を届けに寄ると
先ほどのJr.の電話での受け答えが、あまりに
ひどいと激怒していて驚いてしまった。
今は顔を見ると殴りたくなるから顔を見たくない
と、血圧に支障が出るような剣幕だった。
私は当たりがマイルドだがJr.は違う。
すぐに感情的になるし、言い回しも気分次第。
父の怒りが、あまりに激しいので落ち着くのを待った。
母の説明によると、最近 とみに父は何かと
私の居場所がハッキリしないとパニックになるとかで
今日も来ているはずの時間に私がいないという
ことで、Jr.がそれに対して突き離すような言い方を
したので頭に血が上ったらしかった。

・・・私に対する依存は母だけかと思っていた。
話していて頭痛がしてきた。というより体中が
痒くなってきた。主治医に言われたストレス性の
ジンマシンという言葉が頭をよぎった。
私の体は一つしかない。
夜も遅くなるので、丁寧に両親に無理な事は
無理と説明し、Jr.の非礼を詫びて帰宅した。

当のJr.は、あまりピンときていなくて困った。
老いると、こちらが想像もできないことが出てくる。
重荷に思うことはないが、一人っ子の背中に
全てがのしかかってくる。
誰かがやってくれるとか譲り合うこともないから
自分のペースでやればいいと気楽に考えればいい。
バァチャンの状態が こんななのに、あの厳格で
カチカチ頭の父の老いを、こんな形で見せられると
バァチャンの次は、まだまだ あると思わされる。
きっと皆 自分の子供に負担をかけたくないと
思っているだろう。私も そう思っている。

私のように頼りない孫、娘の背中を見て育って
いるJr,はどんなオトナになるだろう。
せめて年寄りを怒らせたり泣かせたりしない人間に
なって欲しい。私の育て方に問題があったと思う。

三月の冷たい土砂降りの雨音を聴きながら、
私は自分の育児を思い起こしてみた。
伸び伸び育つのと、ズケズケ言うのは違う。
本当の“優しさ”を親子で育てられたらいい。
何かと未熟な私は、また神様に祈ることが
増えた。
温かい心のキャッチボールが言葉にも乗せて
出来ますように・・・・。 



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